総桐箪笥製造元-桐里工房 桐蔵-創業明治45年(1912)以来桐に拘り桐に惚れ込み桐と語り合い桐と打ち合ってきた三代続いている職人気質な工房です…。


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2018年12月07日

大川家具の歴史[昭和時代]No.1

20171013_144208.jpg明治時代
に作らせた桐箪笥
FB_IMG_1544003790083.jpg最後の筏流しgetImage.jpeg昇開橋の開通
1543282816980.jpg隅金具無しの桐箪笥(明治の10年の製作
DSC_1124.JPG本村氏製作の昭和の桐箪笥(3.5尺)
DSC_1125.JPG桐里工房の桐箪笥

DSC_1123.JPG松本(永松)氏製作の昭和の桐箪笥(小袖3.5尺)


DSC_0078.JPG現代の金具

  ーーー新しい波乱の昭和時代ーーー

      昭和元年[1926年]

昭和の幕開けは大正12年の関東大震災の煽りもあり、昭和金融恐慌[1927年(昭和2年)]が発生して日本国内は不況の波が押し寄せます。しかし昭和の新しい時代を向かえた大川は、婚礼家具や桐箪笥を中心に今までのデザインから脱却して新しい技法やすっきりした外観の箪笥を開発していきます。

   従来の榎津箪笥に使われていた、古臭い隅金具を使わずにシンプルな桐箪笥に変わっていきました…。

日本が大陸に侵略の方向に進む中
、大川では半数以上の木工所が桐箪笥を製作しており、大川は婚礼道具の生産地として益々有名になっていきました。大正時代
posted by 創業105年の桐里工房 at 19:25 | 日記

大川家具の歴史と榎津指物の起こり[大正時代]No.3

ーーー大正時代の木工機械の導入ーーー
   また大川の木工業者の中には広がる需要によって。木工機械の導入が進められます。

     大正11年に、問屋を営んでいた松本由太郎(藪町)が「丸鋸、帯鋸、カッター、手押し鉋盤、自動鉋盤、角のみ盤」等の木工の基本的な機械(道具見たいな機械)が初めて導入された。だがまだ安全性が考慮されておらず、
弟子の中には、ケガをする者も表れたり、作業効率と生産性ひ上がるが、急がせるため、仕上がりが悪くなる事もありました…。

  ーーー大正時代の稗田木工ーーー
  当時の稗田木工所(現在の桐里工房)では、宇一が農業を行い、和一によって桐箪笥の製作が行われていまた…。

   和一は大工道具だけの、製作を貫き、弟子達には「なるべく機械は使うな」と言う指導を行っていました…。


ーーー『1923年(大正12年)9月1日』ーーー午前11:59分ーーー

        マグニチュード7.4の関東大震災が発生する!

         広範囲の火災が発生する!
      
       関東、横浜は壊滅的な被害が広がる!

     この大地震の復興の為の需要も加わり大川の指物業界は全国に知られる様になっていきました。
    そして大正14年いよいよ2代目稗田武夫が、和一の元で修行を始めます。

posted by 創業105年の桐里工房 at 18:26 | 日記

大川家具の歴史と榎津指物の起こり大正時代No.2

DSC_0322.JPG20140112154602.jpg20170414_143904-258c5.jpg15407095667091376783430382978470-3b3e1.jpg20170323_133835.jpg
ーーー大正時代の仲買人、問屋業者と小売店ーーー

この頃になると、指物大工(生地師)が作る榎津箪笥は、何も塗装をしていない、白木の状態で(生地仕上げ)仕上げられた箪笥を、仲買人や問屋業者が買い取って、塗装と金具打ちの仕上げを行っていた。

各地での博覧会や品評会にはそれらの大川町の有力問屋が出品していた為に
、指物師や錺金具師の名前が出る事は殆ど無かったのです。

町の有力問屋業者は腕の良い指物大工(生地師)を選んで、造りの良い箪笥を買い入れた。(生地のまま仕入れる為に品物の優劣が分かりやすく、選別が厳しかった)

その為に職人同士の技の切磋琢磨によって、大川の技術力が高度化していきました。


大正時代の問屋には
            ◎中島忠五郎商店(長町)
            ◎松本由太郎(榎津)
            ◎中島佐助、佐八商店(榎津)
            ◎まる徳家具(籔町)
            ◎肥前屋(庄分)等があった。
 
 
posted by 創業105年の桐里工房 at 14:50 | 日記